院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ

銀塩の乾板

 

 

 無愛想に中学生が診察室に入ってきた。腹立ち紛れに窓ガラスを叩いて、右手を切っている。どこの中学かと聞くと、「糸満中学校」と答える。「じゃあ先生の後輩だ」と言うと、ニキビ面の顔から白い歯がこぼれた。

 

ちょうど四十年前の春、六年間背負っていたランドセルを真新しい手提げカバンに持ち替えた。漂白された開襟シャツ、アイロンがけされた黒い学生ズボンとの対比が美しい。初めての衣替え。心地よい秋風に胸弾ませて詰め襟のホックを綴じる。白いカラーがまだ柔らかい首筋にかすかな跡を残した。背伸びをしなくても、母の背をそして父の背を抜いた。体の成長に、心の成長が追いつかない。自我の芽生えの中で感じた、大人への憧憬と反感、無垢なるものへの執着と訣別。中学の頃の自分を思い出す時、重ねてきた齢とともに、移りゆく時代の中で、変わっていくものの多さに驚く。それと同時に変わらないものがあることに気づき、ハッとそしてホッとする。それは思い出に彩られたひとひらの写真として残っているのではない。手にずしりとくる銀塩の乾板に刻まれている。そのひとつひとつを拾い集めて、ジグソーパズルの様に並べてみる。欠落したピースは幾つもあって、それを探し出すためにあの頃の自分と語り合う。最後の欠片を嵌めたとき、彼は未来の自分に笑顔をくれるだろうか。

 

縫合を終えると「有り難うございました」と素直な声。学生服の肩にポンと手を置くと、微塵の埃とともに、懐かしい匂いがした。

 



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